感謝すべきものだったと

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感謝すべきものだったと


逆に考えると、姑がもし、外で仕事をしていたら、違う人生を歩んでいたことだろう。
さらに、違う人生を歩んでいたら、
(家父長信仰の特命のような)わたしたちへのサポートも、ここまで手厚いものにはなっていないだろう。
とすると、わたしだけの力では、娘たちは、いまのようには育っていなくて、経済力も生み出せなかったことだろう。
風が吹けば桶屋が儲かる方式で考えると、
この構図は、どうなっている???

姑のパワーは、あふれ出て、次世代へのサポートとして注がれ、
そのパワーを受けて、次世代は育ち、またパワーを発揮する。
そのパワーで、さらに次世代を育て、
ついでに、オツムの、か弱い母親(わたし)も逆流サポートし???(甘いか???)

総括すると、
姑の行いは、なかなか立派な、ありがたい、いうことだ。
(が、先代の姑たちも、若き日の姑を非難することなく、大きな目で見てくれたそうだ)


わたしにも、実母はいる。
実家にも、もちろん、大変、お世話になったが、
実際に、手となり足となり、身近に労力として手助けしてくれたのは、姑だった。
それは、婚家に身を寄せた(嫁いだ)からであり、
次男や三男、四男、五男、???その他だったら、また、違っていたことだろう。

結婚意識が、わたしは、昔と随分、違ってきている。
時代の流れでもあるし、居住地によって、風土?習慣が違うからだろう。
わたしは、田舎の旧い慣習に、身動き取れないほどだったが、今では、そんなに重苦しくとらえていない。

家制度、崩壊というものの、意識は、まだしっかり人々には残っているようだ。
家制度というような大層なものでなくても、
肉親との関わり、「親と子」「長男の嫁、次男の嫁」「夫の親、嫁の親」のような???。
なので、娘たちのような若い世染髮焗油代が、婚家と実家の間で、揺れ、苦しむのを見ると、不思議なような複雑な心境になる。
真面目に取り組んでいる姿に、感動したりもする。


わたしは、ね。
もう、結婚生活をピリオドにしたって、いい。
なにも、べつに、びくびくと、気を使うようなことはない。
皆には、とてもお世話になったけれど、お返しはまだしていないけれど、
次世代が、ちゃんと育ってくれたら、それでいいのだ。
年寄りたちの役目は、そこで終わっていて、
あとは、いかに若いものたちのペースを乱さず、余生を送るか、だ。
つまり、目に見えない、自分を束縛するもの雪纖瘦に囚われなくなったということだろうか。
ただし、感謝は忘れずに。

あ、まだ、わたし、若いんですけれどね。
余生を送る側の立場でもあり、余生を送る人をサポートする立場でもあり、若い世代をサポートする立場でもある。
ついでに、自分を満喫する、活動火山中でもある。

(次世代が、さらに次々世代を育てるま雪纖瘦でのサポート役割、は、まだ未完了。これからが、山。
上の世代が余生を終了するサポートも、まだ未完了。これまた、これからが、山。
サポートされる側は完了したものの、サポートする側は、未完了だらけ、でもある)
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