食べられないから

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食べられないから




自分のブログ、なんのために書くのか、ということは、前に書いた。
では、
人のブログ、なんのために読むのか? なにが読みたいのか? なにが知りたいのか?

まず、なにかのキッカケでブログを知る。
キッカケは、退屈しのぎにネットサーフィンしてみたり、調べ物をしていて偶然検索でヒットしたり、
ブログ村で紹介されていたタイトルにふと訪れてみたり、趣味か何かのサイトで見かけたり、
あるいは、コメントを頂いたり、
まあ、なんらかのアクションの結果、知ることになる。

ブロガー同士である場合、お互いのブログを行き来することが多い。
(常時コメントを残す、残さないは、別として)
自分のブログへの訪問数を増やすための営業活動として、多くのブログを頻繁に訪れるブロガーさんもいるそうだ。
営業で、ある程度の結果を出したものの、ご本人は疲れてしまって、営業はやめたという人もいる。
(ちなみに、わたし、営業、しません)

今まで、いろんなブログを訪問した。
行きずりでも、コメントを残していた、懐かしい頃もある。(今では、しない)
今、訪れているブログと、うんと前は、まったく傾向が違っていた。

キッカケは、どうであれ、ブログそのものが面白い、内容が読んでいて興味深くて、自分の反応たっぷり。
だが、自分の気持ちや状況が変わると、好みも心境も変わり、面白いと思っていたものを前ほど面白いと感じない。
または、自分自身も、訪れていたブログも、両方、変わらないとすると、変化がなく、飽きる。
逆に、自分は変化しないのに、訪れていたお気に入りブログが、変化してしまって、あれ、最近、つまらないなあ、
ちょっと傾向が変わってきたなあ、なんてこともある。

たいがいは、お互い、少しずつ、同時進行で変化する。

面白いと、飛びついても、長く熱が続かない。
魂が震え、舌が歓喜するほどの、大好きな食べ物メニューを毎日、毎日、食べると、だんだん飽きてくる。
ああ、至福、この幸せ???ぱくり。
これは、毎日、毎回、感じる幸せだ。
毎日、食べられて、その都度、感激する幸せもあるが。

ロミオとジュリエットも、相手が死んだら、永遠の愛だけれど、生きて結婚でもしたものなら、
熱病にとり付かれて、うなされていた身を焦がす恋人も、
横で、いびきかいて寝てるこの人、あれま、この人だれ?と、フツーの人になっている。
幸福の青い鳥は、お持ち帰りすると、黒くなる。

食べ物、人、その他もろもろ、大好きなものを最高のボルテージを保ち続けることは、不可能。

24時間365日、おんなじことを言っているブログ、面白いか?
言ってるブロガー自身も、いやになっているに違いない。
100人のブロガーさんが、交代で、読み手が興味あるテーマについてリレーしているなら、
まあ、悪くもないかも知れないが。
それなら、ネットサーフィンと、あんまり変わらない。
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